【松永だんじり雑学】 町名の由来
matsunagadanjili
6月8日
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松永の町名の由来とは…
萬治3年(1660年)の頃、この辺りにあった集落は柳津・今津などの村で、
松永という名前も場所も存在していませんでした。
※江戸時代前期 徳川家綱の時代です。
あったのは小さな漁村で、人も少なく砂浜と砂利のみの土地であった。
と、郷土の資料に残されています。
この土地に産業と文化をもたらしたのが、「本荘重政(ほんじょうしげまさ)」
この人物は、松永町の生みの親です。
当時、福山藩で仕事をしながら、現在の松永・柳津・金江などの土地の有効活用を考えていました。
そして近隣の砂浜を開拓し、多くの塩田を築き上げて、大きな功績を残しました。
塩田ができあがり、大きな集落となって村になりました。
そこに住む人々は「本荘重政」の大変な功績に名前を残したいと考え、
新しい村の名前を「本荘村」と呼んでいました。
しかし、本人が自分の名前を村に付けることは、功績を私事とする事で良くないと考えたそうです。
そこで、本荘重政は、松寿永年(松の木が常に緑を保つように「人が長く生き、家や土地が末永く栄える」という縁起の良い言葉)から、松永という名前にするように幕府に届け出て、「松永村」が誕生したそうです。
2026年現在では松永に塩田はありませんが、町があり、人々が暮し、栄えている様子を
本荘重政公はどのように見ているでしょうか。
参考文献【松永市の展望】




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